▽歴史
伊達政宗が1603(慶長8)年、現在の仙台市中心部の西方にある
青葉山に築いた居城。
徳川家康の警戒を避けるため、天守閣を設けなかったといわれている。
彼が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、
天守台はあるが天守閣は持たない当時としては古いタイプの連郭式平山城であったが
いくつものやぐらが連なり結果として同時代に比類ない堅城となった。
江戸時代が終わるまで約270年に渡り、伊達氏代々の居城であった。
国指定史跡。
明治維新の際に城は焼失し、大手門、隅櫓、巽門は戦火(仙台空襲)に見舞われ焼失、
現在は石垣、土塁、堀と再建された隅櫓が残るのみである。
▽現在
天守台の政宗騎馬像近くから仙台市街が眼下に一望できる。
青葉山に位置する事から一般的に青葉城(あおばじょう)と呼ばれる事も多い。
本丸 → 青葉城本丸会館
西の丸 → 護国神社
二の丸 → 東北大学川内キャンパス
三の丸 → 仙台市博物館
三の丸堀 → 長沼 五色沼
300年以上の時を経て老朽化した仙台城本丸跡石垣を、
文化財としての価値を損なうことなく修復する工事が
仙台市の青葉山公園整備事業の一環として進められている。
石垣の修復は石垣の解体と積み直しが行われ、
解体は1998年に始まり、2000年12月から石積み作業が始り、
2004年に作業は一段落した。
さらに大手門の復元が地下鉄東西線竣工を目処に開始される予定です。
▽詩碑
園内には土井晩翠や島崎藤村の詩碑もあります。
三の丸あと現在の仙台市博物館には魯迅の碑もあります。
▽昭忠塔
本丸あとに昭忠塔が建てられています。
西南の役(明治10年)
京城事変(明治17年)
日清戦争(明治27−28年)
をはじめとする内外の戦いで多くの東北地方の将兵が戦死しました。
慰霊のために明治35年11年竣工しました。
昭忠の字は小松宮彰仁親王の親書です。
高さ20mもあり頂上の鳶の像は幅6.7mもあります。
鳶は当時の日本陸軍を象徴的に表現したもので
宿敵ロシアの方角を向いているとも言われています。
▽アクセス
東北自動車道 仙台宮城ICから車で15分
るーぷる仙台 青葉城址
■地図で場所を確認 |

伊達政宗の騎馬像 小室達作

仙台城址

晩翠詩碑

藤村詩碑

昭忠塔 |